「音楽史上最高の女性スター」

そう聞いて誰を思い浮かべるだろうか?

ロックの歴史において彼女ほどその称号が似合う女性は存在しないのかもしれない。

【ジャニス・ジョプリン】。

わずか5年にも満たない活動期間、決して恵まれているとは言えない環境で彼女は伝説のロックスターとなった。

今回はそんな伝説の女性ロックスタージャニス・ジョプリンのプロフィールや来歴について紹介していきます。

更に、ジャニス・ジョプリンの謎の死因や同窓会でのエピソードなども紹介していこうと思います。

ジャニス・ジョプリンのプロフィール

笑顔のジャニス・ジョプリン

英語表記:Janis Joplin

本名:Janis Lyn Joplin(ジャニス・リン・ジョプリン)

生誕-死没:1943年1月19日 – 1970年10月4日

出身地:アメリカ合衆国 テキサス州ポートアーサー

身長:165cm

担当楽器:ボーカル、ギター

活動期間:1966年 – 1970年

人物

  • ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第28位に選出された。
  • ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第46位に選出された。
  • 27歳で亡くなっていて、有名な27クラブの一員とされている。
  • 「音楽史上最高の女性スター」と称されることもある。

ジャニス・ジョプリンの来歴

ジャニス・ジョプリンは高校時代、他の生徒から孤立しがちでした。

ですが、この当時仲の良かった生徒にアメリカのミュージシャンレッドベリーのレコードを聴かされたのをきっかけにブルースやフォーク・ミュージックに傾倒していきました。

そして、1960年にテキサス州ポートアーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業しました。

トーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業したジャニス・ジョプリンは、テキサス大学オースティン校に入学。

しかし、ジャニス・ジョプリンはテキサス大学オースティン校を中退。

1963年にサンフランシスコへと向かい、フォークシンガーとしての活動を開始しました。

この時に薬物やアルコールを大量に摂取するようになったジャニス・ジョプリンは一時静養のため、ポートアーサーに帰郷。

しかし、1966年に再びサンフランシスコへと戻っている。

そして、「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」と言うバンドに参加しました。

バンド時代

ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのジャケット写真

このバンドは演奏技術が未熟で有名だったが、モントレー・ポップ・フェスティバルの出演をきっかけに注目を集め、ジャニス・ジョプリンの魂を振り絞るような激しい歌はたちまち評判となった。

そして、1968年にアルバム『Cheap Thrills(チープ・スリル)』をリリース。

このアルバムはジャニス・ジョプリンがブレイクするきっかけとなりました。

その後、ジャニス・ジョプリンはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーを脱退。

そして、ブラス・セクションを加えた「コズミック・ブルース・バンド」を結成した。

1969年、『I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!(コズミック・ブルースを歌う)』をリリースし、ウッドストック・フェスティバルに出演するもコズミック・ブルース・バンドはその後すぐに解散してしまう。

早すぎる死

1970年5月、ジャニス・ジョプリンは自身が目指すサウンドを実現できるバックバンドとしてフル・ティルト・ブギー・バンドを結成し、ソロ活動を開始。

ところが、それから5ヶ月後の1970年10月4日、ジャニス・ジョプリンがロサンゼルス ハリウッドのランドマーク・モーター・ホテルの105号室でベッド横の床に倒れ死亡しているのが発見された。

第一発見者はフル・ティルト・ブーギー・バンドのマネージャー、ジョン・クックで、遺体の傍らには4ドル50セントと、封の切られていないたばこ(Marlboro)が残されていた。

死因は薬物の過剰摂取による事故死とされている。

使用した薬物が通常のものより高純度であったため致死量を越えてしまったとされている。

その理由は、同じ週に同じドラッグディーラーの顧客の何人かも過剰摂取に陥ったという事実があったそうです。

その後、1971年1月遺作として『Pearl(パール)』がリリースされました。

『Pearl』は1970年9月からレコーディングが開始され、完成する前にジャニス・ジョプリンが亡くなったことによって「生きながらブルースに葬られ」は、歌なしのまま収録されました。

この作品はこれまでの心身を削るような歌唱一辺倒ではなく、抑制を効かせた歌唱が試みられていて、歌姫ジャニス・ジョプリンの最大限の魅力が引き出されている作品となっているだけに彼女の早すぎる死が惜しまれます。

1982年2月、未発表音源集『Farewell Song(白鳥の歌)』をリリース。

ジャニス・ジョプリンの伝説やエピソード

ジャニス・ジョプリンの死因

ジャニス・ジョプリンの死因は薬物の過剰摂取による事故死とされているが、ジャニス・ジョプリンの親しい友人の一人はこの説を否定している。

ジャニス・ジョプリンは薬物を摂取した後にホテルのロビーにあるタバコの自販機まで行ってタバコを買って自分の部屋まで戻っている。

その親しい友人は「オーバードーズ(過剰摂取)だったらどうしてロビーまで歩いてまた帰ってこられたの?」と語っている。

薬物の過剰摂取だった場合、そのまま床にぶっ倒れるそうだ。

その親しい友人は細いヒールのサンダルを履いていたジャニス・ジョプリンが、ホテルの部屋に敷いてあった毛の長いカーペットに躓いて倒れた時に鼻の骨を折り、窒息死したのではないか?と考えているそうだ。

ジャニス・ジョプリンの同窓会

ジャニス・ジョプリンが亡くなる4ヵ月前の1970年6月にテレビ番組に出演したジャニス・ジョプリンは高校の同窓会に出席する予定だと述べました。

高校生時代ジャニス・ジョプリンは周りに馴染めていなかったが

当時すでにロックスターとなっていたジャニス・ジョプリンは同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情を浮かべている様子がカメラにおさめられている。

この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語りつがれている。

27クラブ

ジャニス・ジョプリンのお墓

27クラブとは、27歳で死亡した伝説的なミュージシャン、アーティスト、俳優が多いことから名づけられた一覧である。

  • ブライアン・ジョーンズ
  • ジミ・ヘンドリックス
  • ジャニス・ジョプリン
  • ジム・モリスン
  • カート・コバーン

など多数の27歳でこの世を去った有名人が名前を並べるが、一般的にはカート・コバーン死亡時にカート・コバーンの母親が

「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」

と嘆いたことから、世間一般に認識されるように広まったとされている。

ジャニス・ジョプリンの代表曲

パールのジャケット写真

わずか5年に満たない活動期間で伝説になったジャニス・ジョプリン。

そんな彼女の名盤を紹介したいところだが、どのアルバムも彼女の伝説に比べればもの足りなさを感じてしまう。

そう意味では決して恵まれた環境じゃなかったにもかかわらずロックレジェンドとなった才能はボーカリスト、アーティストとしてずば抜けたものがあったに違いない。

ということで、今回は名盤ではなく名曲、ジャニス・ジョプリンの歌っている曲の中で私が一番好きな1曲をおすすめします。

それは完成する前にジャニス・ジョプリンが亡くなったことにより未完成でのリリースとなったアルバム『Pearl(パール)』に収録された「Me And Bobby McGee」。

クリス・クリストファースンの曲のカヴァーでカントリー風のナンバー。

原曲の魅力を最大限生かしつつ、ジャニス・ジョプリンの類まれな表現力が存分に味わえる1曲です。

あとがき

今回は音楽史上最高の女性スター【ジャニス・ジョプリン】について紹介してきました。

5年に満たないわずかな活動期間ながらロックレジェンドとして語りつがれ、今なお音楽史上最高の女性スターと称されるジャニス・ジョプリン。

この記事でジャニス・ジョプリンに少しでも興味がわいてくれれば嬉しいです。