日本でも絶大な人気を誇る生きる伝説。

初期の頃の爆発的なパワー溢れる音楽から叙情的な世界感を確立していった彼らは、今なお自分たちの音楽の進化を止めない。

ラップロック(ミクスチャーロック)の先駆者としても知られるモンスターバンド。

彼らの名は【Red Hot Chili Peppers】。

この記事では、まぎれもないロックレジェンド、【Red Hot Chili Peppers】について紹介していきます。

Red Hot Chili Peppersの現メンバープロフィール

Red Hot Chili Peppers ロゴ

アンソニー・キーディス

アンソニー・キーディス1

英語表記:Anthony Kiedis

生誕:1962年11月1日

出身地:アメリカ合衆国 ミシガン州グランドラピッズ

身長:175cm

担当楽器:ボーカル

在籍:1983-

人物

  • Red Hot Chili Peppersのオリジナルメンバーでキーマン。
  • ヤンチャな兆年時代を過ごしていたが、いじめられてる子供がいたら助けたりなど優しい一面もあった。
  • 父親はドラッグ常用者であったが、そんな父親に強いあこがれを抱いていて、性格などの面でかなり影響を受けたとされている。

フリー

フリー

英語表記:Flea

本名:Michael Peter Balzary

生誕:1962年10月16日

出身地:オーストラリア メルボルン郊外バーウッド

身長:168cm

担当楽器:ベース

在籍:1983-

人物

  • Red Hot Chili Peppersのオリジナルメンバー。
  • 左手の握力は120ポンドあると言われている。
  • 「史上最も才能豊かなロックベーシストの一人」と評されることもあるほど高く評価されている。
  • 激しいライブパフォーマンスはフリーの代名詞。
  • ライブパフォーマンスとは裏腹に、紳士的な性格の持ち主。
  • カート・コバーンとも仲が良かった。NIRVANAのライブにゲスト出演した際はトランペットを吹いていた。

チャド・スミス

チャド・スミス

英語表記:Chad Smith

本名:Chadwick Gaylord Smith

生誕:1961年10月25日

出身地: アメリカ合衆国 ミネソタ州セントポール

身長:191cm

担当楽器:ドラム

在籍:1989年-

人物

  • 巨体を生かしたパワフルさにプラスして、グルーヴ感、安定感のあるドラミングは高い評価を受けている。
  • ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のドラマー」で87位にランクインしている。

ジョシュ・クリングホッファー

ジョシュ・クリングホッファー

英語表記:Josh Klinghoffer

本名:Joshua Adam “Josh” Klinghoffer

生誕:1979年10月3日

出身地: アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス サンタモニカ

身長:180cm

担当楽器:ギター

在籍:2010年-

人物

  • 2009年12月に脱退したジョン・フルシアンテに変わって、2010年2月に新加入した。
  • 2012年4月、Red Hot Chili Peppersがロックの殿堂入りを果たしたことにより、史上最年少の32歳での殿堂入りとなった。

Red Hot Chili Peppersの元メンバープロフィール

ヒレル・スロヴァク

ヒレル・スロヴァク

英語表記:Hillel Slovak

生誕-死没:1962年4月13日–1988年6月25日

出身地:アメリカ ニューヨーク州クイーンズ(生まれ:イスラエル ハイファ)

担当楽器:ギター

在籍:1983年-1988年

人物

  • Red Hot Chili Peppersの初代のギタリストとして有名。
  • ジョン・フルシアンテが少年時代に憧れの持っていたギターヒーローの一人だった。
  • 1988年6月、薬物の過剰摂取により死亡。

ジョン・フルシアンテ

ジョン・フルシアンテ1

英語表記:John Frusciante

本名:ジョン・アンソニー・フルシアンテ

生誕:1970年3月5日

出身地:アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク

身長:173cm

担当楽器:ギター

在籍:1989年-1992年、1999年-2009年

人物

  • 元はRed Hot Chili Peppersの熱狂的なファンの一人だった。
  • ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は18位、2011年は第72位にランクインした。
  • 2007年には「現代の三大ギタリスト」と評価されていた。

ジャック・アイアンズ

英語表記:Jack Irons

本名:Jack Steven Irons

生誕:1962年7月18日

出身地:アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス

担当楽器:ドラム

在籍:1983年、1985年-1988年

人物

  • Red Hot Chili Peppersの初代ドラマーとして有名。
  • Red Hot Chili Peppers脱退後もパール・ジャムなど様々なバンドで活躍。

来歴

Red Hot Chili Peppersは、アンソニー・キーディスフリーヒレル・スロヴァクジャック・アイアンズにより1983年に結成されました。

1984年、デビューアルバム『Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)』をリリース。

この『Red Hot Chili Peppers』はヒレル・スロヴァクとジャック・アイアンズが一時的に脱退している中で制作されたので、2人は制作に参加していない。

1985年、ヒレル・スロヴァクが復帰して、アルバム『Freaky Styley(フリーキー・スタイリー)』をリリース。

『Freaky Styley(フリーキー・スタイリー)』は、プロデューサーにファンク界の大御所Pファンク軍団総帥、ジョージ・クリントンを迎えて制作された。

この頃からフリーのベースは、ファンク色がより強くなっていくことになり、のちにRed Hot Chili Peppersの人気につながっていく。

1987年、アルバム『The Uplift Mofo Party Plan(ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン)』をリリース。

このアルバムは、ジャック・アイアンズもバンド復帰して制作されたので、最初で最後のオリジナルメンバー4人での作品となった。

また、エアロスミスのボーカリストスティーヴン・タイラーお気に入りの作品としても知られている。

1988年、ヒレル・スロヴァクが、薬物の過剰摂取により薬物中毒で亡くなる。

その後、ジャック・アイアンズもRed Hot Chili Peppersを脱退。

1989年、新メンバーとしてギタリストとしてジョン・フルシアンテ、ドラムーとしてチャド・スミスが新加入。

同年8月、アルバム『Mother’s Milk(母乳)』をリリース。

前年に亡くなったヒレル・スロヴァクに贈られた曲「Knock Me Down(ノック・ミー・ダウン)」などの楽曲が揃う名作となった。

1991年、アルバム『Blood Sugar Sex Magik(ブラッド・シュガー・セックス・マジック)』をリリース。

このアルバムはレコード会社も移籍し、プロデューサーにリック・ルービンを迎えた初めての作品となった。

リック・ルービンはこの後、長年にわたってRed Hot Chili Peppersのプロデューサーとして活動することになる。

この『Blood Sugar Sex Magik(ブラッド・シュガー・セックス・マジック)』は、全世界でヒット。

収録曲で、シングルカットされた「Under The Bridge」で、Red Hot Chili Peppers初の全米1位を獲得。

また、同じくシングルカットされた「Give It Away」は、グラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞した。

『Blood Sugar Sex Magik(ブラッド・シュガー・セックス・マジック)』は、まさにモンスターバンドRed Hot Chili Peppersのブレイクのきっかけになった作品と言ってもいいだろう。

1992年、ワールドツアーで日本に来ている時に、ジョン・フルシアンテが突如帰国。更には脱退してしまうことに。

1995年、脱退したジョン・フルシアンテの後任としてギタリストデイヴ・ナヴァロが新加入。

同年9月、アルバム『One Hot Minute(ワン・ホット・ミニット)』をリリース。

このアルバムはデイヴ・ナヴァロの色が濃く出ていて、Red Hot Chili Peppers本来のファンク色は薄れ、ハードロック色の強い作品となっている。

音楽性の違いからデイヴ・ナヴァロはこのアルバムのリリースツアーが終了した直後にRed Hot Chili Peppersを脱退してしまう。

1999年、うつ病と深刻な薬物中毒を克服したジョン・フルシアンテが復帰。

同年6月、アルバム『Californication(カリフォルニケイション)』リリース。

このアルバムからシングルカットされた「Scar Tissue(スカー・ティッシュ)」で、Red Hot Chili Peppersは2度目のグラミー賞を受賞。

『Californication』は、現在でもRed Hot Chili Peppers最大のヒット作となる。

この作品は何といっても復帰したジョン・フルシアンテ。

うつ病と薬物中毒に苦しんでいたジョン・フルシアンテはドラッグ欲しさにギターを売ってしまっていた。

友人の勧めでリハビリ施設に入院。2年に及ぶリハビリの末、薬物中毒を見事克服する。

その後、フリーの説得でRed Hot Chili Peppersも納得し、ジョン・フルシアンテのRed Hot Chili Peppers復帰が決まった。

後にジョン・フルシアンテは「あれ以上の喜びはなかった」と語っている。

しかし、長い間ギターを触っていなかったせいで、技巧的な持ち味は影をひそめてしまう。

しかし、それは後に「枯れたギター」と称される、叙情的で独特なエモーショナルサウンドへの変化、いや進化となった。

2002年、アルバム『By the Way(バイ・ザ・ウェイ)』をリリース。

2006年、アルバム『Stadium Arcadium(ステイディアム・アーケイディアム)』をリリース。

『Stadium Arcadium』は、Red Hot Chili Peppers初の全米アルバムチャート1位を獲得。

Red Hot Chili Peppers、2007年から2年間活動休止。

この活動休止は、フリーから切り出したことだそうです。

フリーは「2年ほどバンドから離れて本当にこれを続けるべきなのかどうか考えたくなった」と語っています。

アルバム『Stadium Arcadium』を作っていく過程で人間関係が厳しかったこと、更にリリース後1年半に亘って続いたツアーはそれ以上にフリーの神経をすり減らし、フリーは「もう潮時だ」と思ったそうです。

とにかく、いったん止めなければならないと感じ、フリーから「2年間休もう」と言い出し、メンバーを説得して回りました。

活動休止期間中の2009年12月16日、ジョン・フルシアンテがRed Hot Chili Peppersを脱退する。

この日、ジョン・フルシアンテは自身のオフィシャルサイトで「自身の音楽を探求したい」と綴り、Red Hot Chili Peppersからの脱退を表明した。

最初の脱退時とは異なり、他のメンバーもジョン・フルシアンテの意思を尊重している、いわゆる不仲や音楽性の違いなどではない、円満な脱退となった。

しかし、この脱退は多くのRed Hot Chili Peppersファンを落胆させたことだろう。

フリーはこの活動休止期間中に大学に通い音楽理論を学んだり、さまざまなミュージシャンとの交流を重ねることで、「またやりたくなった」と思えるようになったと語っています。

そして、フリーがRed Hot Chili Peppersを続けていくべきかどうかを判断するにあたって一番重要だったもの。

それはアンソニー・キーディスとの関係だった。

「やっぱり、休んでいた間の俺にとって一番重要だったことで、やっぱりバンドを続けたいっていう気持ちにさせてくれたものは、特にあいつ(ジョン)がもうバンドに居続けたくないって決心してからというもの、俺があらためてわかったのは、結局、アンソニーは俺の兄弟だってことで、俺はアンソニーをたまらなく愛しているし、このバンドはそもそもアンソニーと俺とがまだガキだった頃に俺たちで始めたってことだったんだよ。俺はそれをまだ続けたかったし、それを手放したくはなかったんだ」

と語っていました。

2011年、ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが新加入。

同年8月、アルバム『I’m With You(アイム・ウィズ・ユー)』を前作から5年ぶりにリリース。

このアルバムのタイトル『I’m With You』は新メンバーのジョシュ・クリングホッファーの提案で決まり、アートワークは、イギリスの現代美術家ダミアン・ハーストが手がけた。

2012年、ロックの殿堂入り。

2016年、アルバム『The Getaway(ザ・ゲッタウェイ)』をリリース。

このアルバムは5thアルバム『Blood Sugar Sex Magik』から長年にわたってRed Hot Chili Peppersをプロデュースしてきたリック・ルービンから離れ新たにデンジャー・マウスをプロデューサーとして迎え制作された。

『I’m With You』から5年ぶりのニューアルバムリリースとなった。

Red Hot Chili Peppersの伝説やエピソード

フリーの意外な活動

フリーは2001年、ロサンゼルスに非営利の音楽学校、シルヴァーレイク・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージックを設立した。

ここでは恵まれない子供たちに音楽のレッスンをしたりなどしている。

追悼曲

「Knock Me Down」「My Lovely Man」「Dosed」は、オリジナルメンバーでRed Hot Chili Peppersの初代ギタリストであるヒレル・スロヴァクを追悼するために書かれた楽曲である。

チャリティー活動に積極的

Red Hot Chili Peppersのドラマーチャド・スミスはチャリティー活動に積極的に支援している。

サイドプロジェクトが豪華

チャド・スミスはサイドプロジェクトとして、「Chickenfoot(チキン・フット)」と言うバンドでも活動している。

このバンドのメンバーは

  • Vo. サミー・ヘイガー(元Van Halen)
  • Ba. マイケル・アンソニー(元Van Halen)
  • Gt. ジョー・サトリアーニ
  • Dr. チャド・スミス(現Red Hot Chili Peppers)

と言う超豪華なスーパーグループである。

世界で最もセクシーなベジタリアン?

2008年、アンソニー・キーディスは「PETA」と言う団体によって、世界で最もセクシーな男性ベジタリアンに選ばれたことがある。

枯れたギター

Red Hot Chili Peppersの元ギタリスト、ジョン・フルシアンテ。

彼は成功に対する複雑な感情から精神を病んでいきました。

そして、1992年の来日公演中に突如ライヴをキャンセルし、帰国。そのままRed Hot Chili Peppersを脱退してしまいました。

その後、ソロ作品をリリースするものの、深刻なうつ病と薬物中毒を患って、ドラッグ欲しさにギターも手放してしまうところまで行きました。

しかし、ジョン・フルシアンテのことを心配した友人の提案で、ジョン・フルシアンテは1997年にリハビリ施設に入院しました。

約2年に及ぶリハビリの末、ジョン・フルシアンテは薬物中毒を克服しました。

ジョン・フルシアンテ曰く「生まれ変わった」という程に健康志向なったそうです。

その話をききつけた親友であり仲間でもあった、Red Hot Chili PeppersのベーシストフリーがRed Hot Chili Peppersnewsのメンバーを説得。

Red Hot Chili Peppersは、薬物中毒を克服したジョン・フルシアンテの復帰を決定しました。

ジョン・フルシアンテは後にRed Hot Chili Peppers復帰について「あれ以上の喜びはなかった」と語っています。

しかし、2年以上ギターを弾いていなかったジョン・フルシアンテは、そのブランクから、初期の頃に見られたような持ち味のテクニックはなくなっていました。

ですが代わりに、叙情的で独特でエモーショナルなサウンドをRed Hot Chili Peppersに与えました。

それは後に「枯れたギター」と称されることになります。

Red Hot Chili Peppersの代表作とおすすめ

Red Hot Chili Peppersですが、正直代表曲がありすぎて迷いました。

アルバム『Stadium Arcadium』に収録されている「Snow」
アルバム『By the Wayに収録されている「By the Way」「Can’t Stop」
アルバム『Californication』に収録されている「Californication」「Otherside」

ですが、人気第1位なのはこちらではないでしょうか?

代表曲

アルバム「Stadium Arcadium」に収録されている「Dani California」

日本では映画「デスノート 前編」の主題歌としても有名なこの曲。

『Stadium Arcadium』は、Red Hot Chili Peppersとしても、初のアメリカアルバムチャート1位を獲得。

更にRed Hot Chili Peppersは、3度目のグラミー賞をも受賞しています。

あとがき

今回はモンスターバンド【Red Hot Chili Peppers】について紹介してきました。

メンバーの死、薬、病、幾重にも積み重なった困難を乗り越えたRed Hot Chili Peppers。

その先で掴んだRed Hot Chili Peppersの音。

そして、Red Hot Chili Peppersの一番の魅力はLiveです。

ぜひ観てください。間違いなく何か響くはずです。

この記事でRed Hot Chili Peppersに一人でも興味が湧いてくれると嬉しいです。